人類と惑星の物語 マルデック9

(途中一部、略)

 

発見と発明-2012~3200年

 故郷へ帰ってきた旅人たちは、青い種族の人々の旅への興味の欠如と、彼らの丁重な、しかしよそよそしい応対のしかたについて話しあいました。そして、その方向への探索をこれ以上無駄にするひつようはないという同意のもとに、貿易や旅の状況を発達させることや文化的な視野を広げることに熱中しました。

 それから最初の2600年の終わりまでの数世紀の間、科学技術や文化の分野における平均的な進化が続きました。そのころまでにはほとんどの染色体の損傷が浄化されているか、浄化の過程にありました。そして人々のDNAや太陽の符号の内部にそなえつけられたタイミング・メカニズムが活性化されました。最初、人々は夢の内容をより詳細に記憶していた程度でしたが、やがて夢の重要性を認識するようになりました。それから彼らの7番目のチャクラと松果体が活性化され、人々はそれまでただ何気なく受け取っていたエネルギーや意識の存在に気づきはじめました。また、微妙な色あいの多様性に目を向けて知覚的な深みを見分けるようになりました。そしてさらに触感、音感、聴覚、嗅覚をはじめとする形や色彩の微妙な違いにめざめていったのです。また彼らのより洗練された味覚に合うように調理方法も変わっていき、三次元的な立体感を生み出すことを強調する写実主義の傾向をともなった芸術が新しい意味をもつようになりました。肖像画を得意とする人々は特に尊敬され、一般的に生き生きとした芸術作品が偉大な賞賛を受けました。

 頑丈な橋の建設はひきつづき継続されました。また入植からおよそ2700年後には、なめらかに回転する車輪が開発されて、荷車を使った旅が従来の半分の時間に短縮されました。3つの社会は交易や交流を深めながらますます溶け合い、ほかの社会の血をひく人々や異種族間の結婚から生まれた子孫が、それぞれの社会のほぼ半数を構成するようになりました。

 その後の300年間には書き文字が簡略化されて、基本的な語源の変化をもつ60の主要な文字が生まれました。学校がはじまり、そこで子供たちは歴史や芸術や書き文字や基本的な生活技術を学びました。

 

ブラック・ホール社会への2度目の旅-3200年

 3200年以上ものあいだ、小さないさかいや嫉妬心がマルデック人の生活をくもらせることはほとんどありませんでした。芸術的な興味や快適さの追求など、人々の生活は多様な広がりを見せていき、だれもがみな幸福に暮らしていました。その当時3つの混合された社会の人々は、みんなで協力してブラック・ホール社会へふたたび探検者の一隊を送りこむことに決めました。青みがかった灰色の肌とたくましい身体をもつ背の高い人々のことが昔から言い伝えられており、人々はもう一度彼らと分かちあいをしてみたかったのです。

 旅人たちが到着したとき、ブラック・ホール社会は混乱状態に陥っていました。人々は、変化を怖れるあまりいまだに原始的な暮らしをしていましたが、極端な気候の変化によって洪水や土砂崩れや作物の壊滅がもたらされ、多くの家屋や建物が崩壊してしまったのです。そのような深刻な時期によそ者が現れたので最初はショックでしたが、彼らが被害を一掃するための援助を惜しまないのを見て、住民たちはすぐに安心しました。

 訪問者たちが故郷へ戻るころには、ブラック・ホール社会の住民は彼らの友情を受け入れ尊重するようになっていました。そしてブラック・ホール社会の住民の20人が、旅人とともに別の社会を見学にいくことが決まりました。そしてとうとうマルデックの4つの社会がひとつに結ばれたのです。

 その一隊が最初の目的地である幼い魂の社会に着いたとき、彼らは盛大な祝賀会やすばらしいごちそうやダンスで歓迎されました。ところがかなり内気なブラック・ホール社会の旅人たちは、丁寧ではあっても無口でよそよそしい態度をとったりしていました。彼らはときには数人でいることを好み、そんなときは人数が少なければ少ないほど好ましいのであって、お祝いにかけつけた大群衆にはなかなか馴染めなかったのです。

 旅人の一隊がそこからさらに火星人とアンドロメダ人の社会へと向かったとき、ブラック・ホール社会の旅人はますますホーム・シックになっていきました。文化や科学技術の発達やすばらしさを見せられれば見せられるほど、ブラック・ホール社会からの訪問者は自分たちの生活の質素さが懐かしくなり、帰りたくなったのです。

 オリオンの社会に月の1サイクルに満たないほど滞在してから、訪問者たちは故郷へ帰りたいという希望を伝えました。ホストたちは、なぜ彼らが自分たちの社会の美しさや進化に感銘を受けないのかが理解できませんでした。しかし訪問者たちは、自分たちが充分なもてなしを受けて多くのことを学んだので、そろそろ故郷の社会に帰りたいとだけ繰り返し主張しました。

 ブラック・ホール社会への帰りの旅は、その距離にあわせて段階的に進められましたが、ほとんど1年近い歳月が費やされました。そのころまでにブラック・ホール社会の旅人達は、彼らの小さな谷間に帰るのを恋焦がれていました。そして故郷にたどり着いたとき、いやいやながらに旅を続けていた彼らはホッとしたと同時に寝込んでしまいました。つまり故郷で通常の感覚に戻る前に、全員が長旅の疲れを解放する期間を体験したのです。

 ブラック・ホール社会に滞在したほかの3つのメンバーは適度に満足していました。しかし彼らは、人々のよそよそしさや進化への保守的な態度には決して慣れることができませんでした。他の3つの社会からの旅人の一隊が旅立つ準備が整うと、ブラック・ホール社会に礼儀正しく、しかし情熱をもって住みついていた人々も、彼らの友人とともに帰ることになりました。旅人たちは、その社会との再度の分離という緊張と胸騒ぎを覚えながら去っていきました。けれども、それは関係するすべての人々が抵抗することのできない選択だったのです。

 彼らの友人が旅立ったときに、故郷にとどまったブラック・ホール社会の住民は、遠方からの短い期間の友人に対して複雑な感情をもっていました。何か価値あるものを失ったような感じと同時に、よそ者たちの影響から故郷を守り抜いたような安堵感も感じていました。帰ってきた旅人たちが、3つの社会の祝賀会や精巧な装飾、すばらしい食べ物や複雑な建物その他の生活などに感じた嫌な気分を語ったとき、ブラック・ホール社会の住民はふたたび混乱した感情を体験しました。自分たちは何かとても大切なものを見逃したような気がして、でもそれと同時に自分があの別の世界の一員でないことをありがたくも感じたのです。

 3つの社会からの旅人たちは、ブラック・ホール社会の住民に影響を及ぼすことに失敗したのを感じながら故郷へ帰りました。けれどもまた、全員がブラック・ホール社会の人々の周辺に感じていた緊張と不安から解放されてホッとしていたことも事実でした。そして3つの社会はふだん通りの生活に帰っていきました。